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大阪府堺市


せんのりきゅうやしきあと

千利休屋敷跡 (大阪府堺市堺区宿院町)
 わび茶を大成させ、「茶聖」と称された千利休の屋敷跡(生誕地)。利休は、倉庫業を営む堺の豪商・魚屋(ととや)の跡継ぎとして生まれた。
 家業を継ぐ一方で、北向道陳、武野紹鴎らに師事して茶を学び、織田信長、つづいて豊臣秀吉に仕え、豊臣政権下では茶道頭となって権勢を極めた。しかし、1591年にその影響力の強さからか秀吉に疎まれ切腹を命じられた。
(メモ)
 建物は残っていないが、「椿の井戸」と呼ばれる井戸が残る。井戸屋形は、利休とゆかりのある大徳寺の古材を使って建てたもの。



てっぽうかじやしき

鉄砲鍛冶屋敷 (大阪府堺市堺区北旅篭町)
 鉄砲鍛冶屋敷の姿を今に残す貴重な建物。
 屋敷の持ち主であった炮術家・井上関右衛門家は、戦国時代末期から豊臣秀吉の直臣・加藤光泰に仕え、光泰の子・貞泰が1610年に伯耆米子に6万石で転封になったときに堺に移り住み鉄砲鍛冶になったとされる(兄の家系はそのまま加藤家に仕えた)。
 井上家が移り住む前から堺は鍛冶の町としても名を馳せており、戦国時代、この辺りで造られた火縄銃は「堺筒」と呼ばれ、畿内では近江(滋賀県)の国友、日野と並ぶ高い技術を誇り重用された。
(メモ)
 かつては住人がおり見学ができなかったが、現在は寄贈され堺市指定有形文化財として残された資料と共に見学ができる。



なんしゅうじ

龍興山南宗寺 (大阪府堺市堺区旅篭町)
 三好長慶が、非業の死を遂げた父・元長の菩提を弔うために創建したという古刹。
 茶の湯で知られる武野紹鴎や千利休が修業した寺。大阪夏の陣で戦火に見舞われ焼失したが、沢庵宗彭によって現在の場所に再建された。
 夏の陣で、徳川家康後藤又兵衛(基次)によって実は討たれていたという伝承が伝わっており、敷地内には家康のものだと伝わる墓もある。その他、三好一族の墓、千一族の供養塔もあり、庭園は古田織部の作と伝わっている。
(メモ)
 江戸時代前期に建てられた仏殿、山門、唐門が現存しており、いずれも重要文化財に指定されている。
 家康の墓が本物である証拠して、徳川秀忠や徳川家光が上洛した際に坐雲亭に立ち寄ったことをあげている。
坐雲亭 伝 徳川家康の墓 千一族の碑